2011年8月6日土曜日

根岸、子規の里(5) 「正岡常規又ノ名ハ・・・月給四十圓」

子規のお墓は、山手線鶯谷駅から3つ先の田端駅に近い、大龍寺にある。
地図で見ると、田端駅から大龍寺まで、それほど遠くはない。ただ、田端駅は、
武蔵野台地の下、大龍寺は台地上である。田端駅から降りると、いきなり
10メートルを超える高さの階段登りを覚悟しないといけない。

大龍寺は真言宗の寺。門前には、子規居士の墓がある旨の石柱が
立っている。




本堂に左側を抜けると墓地に出る。さらにその墓地の左側、中程に子規のお墓がある。

真ん中に子規の墓、右側には母八重の墓、左側は先祖累代の墓である。八重もこちらに
入っているのだろうか。後ろには、「竹ノ里人」とも号したゆえか、竹がこんもりと茂っている。
墓地の左には、平成19年に作られた、子規の自筆の墓碑銘。
「月給四十円」とは、亡くなる(明治35年1902)直前にもらっていた額だろうか。 「日本」に入社したとき(明治25年1892)は、確か「月給十五円」だった。
亡くなった明治35年9月19日も、享年36も、記入しなままの墓碑銘だ。






根岸、子規の里(4) 「ごてごてと草花植えし小庭かな」

子規が根岸に住んだのは、明治25年2月、旧加賀藩前田家の長屋の一つに移ったの
が最初。日本新聞社、陸羯南の家の西隣だった。


6月に 東京帝国大学文科大学哲学科の学年試験に落第して、10月に退学。
11月に母八重と妹の律を呼び寄せ、12月に、この日本新聞社に入社。

子規が根岸に移った年は、子規にとって、大きな転機になった年だ。

2年後には、数十メートル東、陸羯南の家の東隣、今の子規庵の場所に引越して、
明治35年に亡くなるまで、ここを拠点に、俳句及び短歌の革新運動を展開する。


子規の家は、関東大震災には残ったが、空襲では、子規の没後に立てた土蔵
(子規文庫)を除いて全焼。隣に住んでいた寒川鼠骨が中心となって、昭和26年に再建した。



財団法人子規保存会が管理運営をしており、入館料は500円。
12時から1時の間は昼休みで閉まっている。
建物内の撮影は禁止。
以前は、庭も撮影が禁止されていただが、今はOKに。
運営は、財政的にはなかなか大変だろうから、館内で売っている写真を買ってあげて
ください。



子規が寝ていた6畳間のほかには、みんなが集まっていた8畳間、ほかには玄関の左には、
狭い次の間、右側には3畳の間と台所。
句会などは8畳の間で開かれたが、とても狭いです。俳句は短歌の革新に燃える若者たちが集まれば、それだけで、熱気のためかなり暑かったのではないだろうか。

6畳間の庭には、ヘチマ棚。


窓から見える庭の光景は、草ぼうぼうに近い感じ。子規自身、「ごてごてと草花植えし小庭かな」と読んでいるくらい。



庭には、子規の絶筆3句の比較的新しい句碑が作られていた。
「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」
「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」
「をととひのへちまの水も取らざりき」

空襲でも焼け残った土蔵は、表面をトタンで覆っているが、なおも健在でした。
この土蔵の中に、子規関係の資料がたくさん残っていたので、子規庵の再建に
つながったのだそうだ。


根岸、子規の里(3) 「椎の実を拾ひに来るや隣の子」

子規の住居跡である「子規」庵の周辺は、ちょっとしたホテル街になっている。
それで、若い男女連れに時々すれ違う。
俳句の巨人の住居跡近くとしては、いかがなものかと思わないでもない。


しかし、まだたくさん残る民家では、あちこちに根岸子規会の名前で、地図と説明文
と俳句の短冊のセットが掲げられていて、ひとつひとつ読んでいくだけで楽しい。
地図は、子規が住んでいた当時と現在の街並みを重ね合わせていて、昔はどこに
どういう家があって、どういうふうに道が通っていたのか、今と昔を対比しながらよく
分かるようになっている。



説明文と俳句は、掲示されている1軒ごとに、当時の正岡家との関係を踏まえて、
それに応じた内容が書かれている。
簡素な作りでお金はかけてないが、大変心のこもった労作だと思う。
例えば、子規庵の隣の家である。




子規が最初に根岸で住んだ家の跡にも。



子規庵の近くにある、和風の門と塀を持つ家でも、それにふさわしい句が。



根岸、子規の里(2) 「芋坂の団子の起こり尋ねけり」


山手線鷺谷駅から一駅先の日暮里の駅近くに、羽二重団子の店がある。
ここも子規が良く行ったところ。



玄関脇には、子規が団子を買いに行かせた際に、妹の律と諍いがあったらしいこと
を伝えている。
買う団子の数で揉めたのだろうか。子規は食いしん坊である。
あるいは、あんこ団子と焼き団子の組み合わせで揉めたのだろうか。



店内は椅子席。正面には、大きなガラス窓で、その向こうには、立派な庭。


団子には、2種類ある。一串に4個ずつの団子が刺さっているメニューもあるが、
「笹乃雪」で少し豪華な昼食をとった後なので、2個ずつの抹茶付きを食す。
羽二重団子と言われるように、団子の生地のなめらかさが売りである。
柔らかい甘さで食べやすい。





根岸、子規の里(1) 「春惜む宿や日本の豆腐汁」

根岸に行って来た。
山手線の鶯谷駅北口を出ると、すぐに「笹乃雪」に行き着く。
ここは、子規も良く行ったという豆富料理屋。

玄関脇に子規の直筆の句碑が建っている。
「水無月や 根岸涼しき 篠の雪」
「朝顔に 朝商いす 篠の雪」

店に入ると、年季が入ったような大きな下足札を渡される。
大きな座敷には、これも年季が入ったような机が並んでいる。


豆富料理のコースを頼んだが、なかなかに美味しい。
中でも、あんかけ豆腐は、上野の宮様が大変美味しいから、今後は二椀ずつ持って
くるように言われたとして、客にも二椀ずつ出すようになったとか。



湯葉や最後の豆富のアイスクリームまで、十分に楽しませてもらった。