子規のお墓は、山手線鶯谷駅から3つ先の田端駅に近い、大龍寺にある。
地図で見ると、田端駅から大龍寺まで、それほど遠くはない。ただ、田端駅は、
武蔵野台地の下、大龍寺は台地上である。田端駅から降りると、いきなり
10メートルを超える高さの階段登りを覚悟しないといけない。
武蔵野台地の下、大龍寺は台地上である。田端駅から降りると、いきなり
10メートルを超える高さの階段登りを覚悟しないといけない。
大龍寺は真言宗の寺。門前には、子規居士の墓がある旨の石柱が
立っている。
本堂に左側を抜けると墓地に出る。さらにその墓地の左側、中程に子規のお墓がある。
真ん中に子規の墓、右側には母八重の墓、左側は先祖累代の墓である。八重もこちらに
入っているのだろうか。後ろには、「竹ノ里人」とも号したゆえか、竹がこんもりと茂っている。
墓地の左には、平成19年に作られた、子規の自筆の墓碑銘。
「月給四十円」とは、亡くなる(明治35年1902)直前にもらっていた額だろうか。 「日本」に入社したとき(明治25年1892)は、確か「月給十五円」だった。
亡くなった明治35年9月19日も、享年36も、記入しなままの墓碑銘だ。
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