2011年12月25日日曜日

にぎたつの歌碑in松山

「熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜」
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出な」

万葉集の8番目に出てくる額田王のこの歌は、地元では、もちろんよく知られた歌で、歌碑もあちこちにつくられている。
熟田津(にきたつ)という場所には、複数説があって、三津、和気、御幸が候補地としてあげられている。

2012年1月の時点では、私が調べた限り、これらの候補地に歌碑は6基である。

そのうち一番大きくて立派なのが、御幸寺山のふもと護国神社の境内にある歌碑である。
境内の正門から入って左奥の、いろいろな碑がたくさん置かれているあたりで、万葉植物園からも近い。
文字は、万葉仮名をそのまま用いて、行書体で書かれている。
ただ、場所は、御幸地区だからと言うことではなく、護国神社の境内と言うことで、ここに置かれているようだ。



三津地区には3つの歌碑がある。
一つ目は、三津の住宅街の中にある梅田町郵便局の敷地内にある。
文字は、万葉仮名を用いて、行書体で書かれている。
小さな歌碑だが、文字がよく見えて状態は良い。




三津の2つ目は、梅田町郵便局から、そのままやや東、川を渡って古三津地区内にある宮前小学校の校内にある。
正門を入って左側、フェンス沿いのやや奥である。
文字は、ひらがなまじりの読み下し文を使っており、独特の書体で書かれている。




三津の三つ目は、山西地区にある松山市営明神墓地を北側に降りたところ、神主無住の小さな神社である久枝神社の境内にある。
文字は、万葉仮名を隷書体で書かれている。
比較的新しく、地元の地域起こし団体が中心になって設置したようだ。
ほかにも、この神社には、藤原純友のゆかりの史跡があり、わかりやすく表示されている。


熟田津の候補地として、もう一カ所有力視されている和気地区には、2カ所に歌碑がある。
一つ目は、四国電力の旧和気火力発電所の敷地内、現在は太陽光発電所が置かれているが、その隣接地である。市民の公園として、広く開放されており、広場には親子連れがよく遊びに来ている。
その広場の中程に、あまり目立たない小さな歌碑がある。
おそらく、以前はここには四国電力の保養施設のようなものがあって、その庭園内の碑文としてつくられたものと思われる。
小さな石の表面にモルタルを塗って、その上に文字を書いただけの粗雑なものである。
ひらがな交じりの読み下し文で書かれている。







和気地区での二つ目は、和気公民館の敷地内にある。
一番最近つくられたもので、松山市長の書が使われているが、肩書きだけで名前は入ってない。
現在の中村知事が、松山市長時代に書いたものと思われる。
万葉仮名を、隷書体で、丁寧に書かれているので、文字としては一番整っている印象がある。
ただ、碑の前に不要な枯れ木を置いているなど、あまり丁寧な扱いとは思えない。




印象としては、三津地区では歌碑が大切に扱われている印象があるが、和気地区では、それほどでもないようだ。住民の関心度合いの違いが反映されているのだろう。

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